テレビ朝日帯ドラマの「トットちゃん!」(2017/10/2~)。
戦後から現在まで長きにわたって芸能界の第一線で活躍される黒柳徹子さんの半生を描いた帯ドラマです。
毎日15分ずつ、「徹子の部屋」終了後に放送されています。
川の氾濫で足止めをくらった“飛竜紅一座”の公演を鑑賞に行った徹子さん(清野菜名)が舞台で共演、それをきっかけに座長夫婦からスカウトを受けます。
「いよいよ芸能界入りか?」と期待ふくらむ冒頭シーンから始まる第25話(11/3放送)。
飛竜紅さん曰く<花がある>徹子さん。
そんな徹子さんの豊かな個性を育んだ、幼少期から高校生になるまでに出会った大人たちをおさらいしてみたいと思います。
「君は、本当にいい子だな」の小林宗作先生
言わずと知れた、トモエ学園校長・小林宗作先生(竹中直人)。
ドラマでは、<嚙んだら健康かどうか分かる木の皮>を買いたいトットちゃん(豊嶋花)にお金を貸したりするような子どもの体験を大切にする姿勢、トモエ学園の生徒・郁夫くん(横山歩)の「やりたい」という気持ちを第一に考えるような子どもの意欲を尊重する姿勢といった、<早く子どものいい性質を見つけてそれを伸ばし、個性のある人間に育てていこう>とする教育方針の元、幼少期のトットちゃんが育まれました。
https://twitter.com/totto_tvasahi/status/916968109658869760
そんな小林先生の口癖が、次の言葉です。
「君は、本当にいい子だな」
「そうなの、私いい子なの」とトットちゃんが返すやり取りが、印象的でした。
トットちゃんと小林先生が出会うきっかけを作ったのは、ご両親が新婚時に住んでいた乃木坂上俱楽部でカフェを営むシイナさん(小澤征悦)でした。
インドから渡ってきたばかりの幼少期に出会い、海外の人に差別意識があって時代にあって、温かな思い出を作ってくれたことも、忘れてはならないエピソードです。
「あなたの人生はあなたのものだから」の黒柳朝さん
ドラマの中でトットちゃんの育ちに深く関わっていたのは、やはり黒柳朝さん(松下奈緒)です。
新婚時にはDV一歩手前だったバイオリニストの夫・守綱(山本耕史)を尊敬し、彼の芸術論に敬服する懐の深い朝さんは、個性豊かなトットちゃんを押さえつけることなく、トモエ学園へと導いていきます。
また、守綱が出征してしまった後には<子どもの命を守るため>と、リンゴ農家の佐々木伸夫さん(宮川一朗太)に手紙を書き、返信もないままに青森へと疎開に押しかけてしまう大胆さも、印象に残ります。
このあとの「 #トットちゃん!」ですわよ~☺
#トットちゃんもついに疎開
#トモエ学園の皆もバラバラに
#シナシナともお別れ
#はるばる青森まで
# りんごのおじさん
#帯ドラマ劇場
#お昼12時30分~
#今週最後の放送
#来週は
#大人トット登場
#松下奈緒 #清野菜名
#豊嶋花 pic.twitter.com/F98qN4vWwV— 「トットちゃん!」公式アカウント (@totto_tvasahi) October 27, 2017
第25話では、旅芸人の飛竜紅一座から将来の座長候補にとスカウトを受けた徹子さんに対して話した言葉が心に刺さります。
「あなたの人生はあなたのものだから」
この言葉は、朝さんが許嫁・児玉さん(本多力)との結婚を破談にし、実家から勘当されてまで守綱と一緒になることを選ぶきっかけとなった井上えつさん(八木亜希子)の言葉でもあります。母を育み、そしてその娘の背中を押す、素晴らしい言葉だと思います。
「東京の人は…」の佐々木さん一家
戦時中・戦後にとてもお世話になった、朝さんと徹子さんの命の恩人で忘れてはならないのが、佐々木伸夫さん一家です。
伸夫さんとは、戦況が激しくなる前、朝さんが北海道の実家に帰省し、かつて勘当された父・門山周通(佐藤B作)と話もしないまま意気消沈して帰京する汽車の中で出会いました。
たまたま同席となった車中で、「青森のリンゴを送ってあげる」と話しかけられ住所を教えたのがご縁の始まりでした。
八戸で乗り換えて、疎開先の北戸(きたのへ)へ
佐々木さん、ものすごく走ってた!
青森県北戸村ってどこ…?
今でいうとどこ…?#トットちゃん pic.twitter.com/wYCfNLpRwg— 雪(*˙˘˙*)ஐ かわいいもの集め (@yukinncha) October 27, 2017
その後、東京への空襲が激しくなってきた折、疎開させてほしいと朝さんは手紙を書きます。
返信もないままに青森・八戸村へと足を運んだ朝さんと徹子さんを快く迎え、何かと面倒を見てくれたのが、伸夫さんを始めとする、母・佐々木トメさん(中村メイコ)、妻・佐々木八重さん(いしのようこ)のご一家です。
そんな佐々木さん一家がよく口にする言葉があります。
「東京の人は…」
最初は<突拍子もない>といった批判的な意味で使われていましたが、終盤になるにつれて好意的に変わってきました。
良くも悪くも<東京の人>という目で徹子さんの個性を育んだのだと思います。
まとめ
戦時中ユニークな教育方針の元に自分を大切にすることを教えてくれた、小林宗作先生。
斬新な芸術論を持つバイオリニストの父・守綱、疎開先の青森で商売を初め、とうとう東京に家を建てられるまでにお金を貯めた母・朝さん。戦時中、疎開として飛び込んできた朝さん・徹子さんの2人を温かく迎え、力を貸してくれた佐々木さん一家。
たくさんの大人たちに見守られて大きくなった少女時代だったことが、よく分かります。
さて、いよいよ来週から2人が東京生活に戻ることが予告されました。
飛竜紅一座と再会するのか、守綱は帰ってくるのかなど、期待感いっぱいの方も、多いと思います。
戦後復興を遂げる東京で徹子さんの個性が花開いていく様子が、楽しみですね。
https://twitter.com/totto_tvasahi/status/926717290631987201