2018NHK大河ドラマ「西郷どん」では名君と名高い薩摩藩主「島津斉彬(しまづ なりあきら)」を、渡辺謙さんが演じることとなりました。
渡辺謙さん、流石の風格です
島津斉彬は西郷隆盛や坂本龍馬に比べると一般的な知名度は劣るかもしれませんが、外国の技術を積極的に取り入れながら薩摩藩の富国強兵を成功させたり、身分に関係なく優秀な人材を登用するなど、古い慣習に囚われない先鋭的な人物でした。
下級武士であった西郷隆盛や大久保利通なども、この島津斉彬によって登用されたことで歴史の表舞台に名を残す人物となりました。
一外様大名であった薩摩藩が幕末、明治維新に存在感を放ったのは、島津斉彬の功績です。
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目次
渡辺謙さん演じる島津斉彬プロフィール
島津斉彬(邦丸→忠方→斉彬)
生年月日 1809年4月28日
没年 1858年8月24日
別名 又三郎(通称)、惟敬、麟洲(法名)
氏族 島津氏
藩 薩摩鹿児島藩主
父 島津斉興(10代藩主)
母 弥姫(島津家に嫁いだ後は周子)(池田治道の娘)
妻 正室:恒姫(徳川斉敦の娘)
子 菊三郎、寛之助、篤之助、哲丸、澄姫、典姫、寧姫
養子 忠義、篤姫、貞姫(島津久長の娘)
・篤姫役 北川景子さん
西郷隆盛を見出したカリスマ島津斉彬が島津家第28代当主になるまで
斉彬は正妻の長男でありながら実父である島津家第27代当主 斉興に嫌われていたため、斉興が58歳、斉彬が40歳になっても家督を譲ろうとしませんでした。
当時の概念では異常なことです。
それどころか、正室の子である斉彬でなく、側室 由羅が産んだ久光に家督を譲ろうと考えていました。
・お由羅役 小柳ルミ子さん
・島津久光役 青木崇高さん
この事を不満に思う者たちが斉彬擁立に暗に動きだしますが、この動きを斉興が知るところとなり、斉彬擁立運動に関わった人たちが切腹や島流し謹慎などの処分を下されます(お由羅騒動)。
この騒動では西郷家と縁の深く、西郷隆盛に強い影響を与えた赤山靱負が切腹しています。彼は斉彬擁立運動の中心人物でした。
彼の死を悲しんだ西郷隆盛は赤山靱負の志を受け継ぐ決意をしたと言われています。
・赤山靱負役 沢村一樹さん
斉彬勢力の力は弱まったものの、斉彬自身が藩主になることを諦めずにいました。
斉彬は幼少の頃から聡明であり、新進気鋭な性格で、諸外国の事情にも通じていました。
そんな彼は藩主になり、藩政改革や国のために自らの知識を活かしたいと思っていたそうです。
このままでは藩主になれないと思った斉彬は、薩摩藩の密貿易を表沙汰にし、父 斉興とその腹心である調所広郷の失脚を企てます。
斉彬はこの密貿易の事実を幕府の老中である阿部正弘に告白。調所広郷は責任をとって服毒自殺。
父 斉興は先のお由羅騒動の不祥事も幕府に問われ、とうとう隠居に追い込まれます。
こうして1851年2月2日、島津斉彬は第28代薩摩藩主に就任しました。
・阿部正弘役は藤木直人さん
このように島津家の家督を継ぐまでにすったもんだありましたが、腹違いの弟 久光とは仲が悪い訳では無かったそうです。
久光さま、門外不出の
おちゃめポーズ♪#NHK #大河ドラマ #NHK大河 #taiga #西郷どん #せごどん #segodon#青木崇高 #島津久光#サイゴウドンじゃなくセゴドンじゃっど#セゴドン旋風おこすっど#西郷どんオフショット pic.twitter.com/eF5kL1wX9r— 大河ドラマ「西郷どん」 (@nhk_segodon) December 27, 2017
島津斉彬が名君と言われる訳〜その幅広い視野と先見性〜
島津斉彬は幕末の四賢侯と言われる藩主の一人です。
以下の藩主たちが幕末の四賢侯と言われています。
・福井藩第14代藩主 松平慶永(春嶽)
・土佐藩第15代藩主 山内豊信(容堂)
・薩摩藩第11代藩主 島津斉彬
・宇和島藩第8代藩主 伊達宗城
斉彬は、彼らと藩主になる以前から交流をもっていました。
やがて、彼らと共に幕政に対して意見するようになります。
斉彬は曽祖父で第8代藩主 重豪(しげひで)の影響を大きく受け洋学に興味を持ちました。
重豪はオランダ贔屓でオランダ語を話すこともできた「蘭癖(らんぺき)=蘭学に傾注したり西洋の習俗を模倣するような人」でした。
この蘭癖のために重豪の時代には藩の財政は危機的な状況でしたので、同じく外国に目を向けている斉彬を藩主にすることを斉興は躊躇い家督を譲ろうとしなかったとも言われています。
欧米の事情に精通していた斉彬は、当時のアジアの状況もよく理解していました。
当時アジアの国々は欧米の圧力を受け属国と化しており、アジアの大国「清」までもが、欧米連合国 により「アヘン戦争」や「アロー戦争」で敗戦。
清は不平等条約を結ばされ、港の開港や一部地域を割譲させられます。
斉彬は、こういったアジアでの欧米の脅威に備え、日本は新しい技術を学んで富国強兵する必要があると考えていました。
斉彬は藩主となると、多くの新規事業(集成館事業)をおこし藩の近代化を推進します。
承前)異人館は島津斉彬以来の集成館事業の一環として、慶応3年(1867)、磯に創設された洋式紡績工場で、指導した英国人技術者の宿舎でした(写真参照)。斉彬は紡績業に早くから着目し、五代友厚はヨーロッパから紡績機械の輸入を企て、石河確太郎は斉彬の遺志を継いで紡績工場を創設しました。 pic.twitter.com/GCZb6CvsAy
— 桐野作人 (@kirinosakujin) September 11, 2017
新規事業の1つに洋式の造船がありますが、西洋式の軍艦「昇平丸」を幕府に献上しています。
日本最初の国産蒸気船「雲行丸」も製造しました。
その他、鉱石から金属を作るための溶鉱炉、鉄の精錬のための反射炉、地雷、水雷、ガス灯、ガラス(薩摩の紅ビードロ)、紡績工場などを製造しました。
ガラスは近年、薩摩切子と名を変えて再び生産されるようになっています。
・大河ドラマ主役バトンタッチイベントで柴咲コウさんが手にしているのが薩摩切子です。

「おんな城主直虎」から「西郷どん」への引継ぎ。恒例のプレゼント交換は、鹿児島⇒浜松が赤い薩摩切子のグラス、浜松⇒鹿児島が三ケ日みかんでした。織田奈那!三ケ日みかん注目されたぞ!
NHK大河主役がバトンタッチ 「楽しみながら撮影を」|静岡新聞アットエス https://t.co/ujcM5Fl3t2pic.twitter.com/LwupIGpUmV
— 静岡ジン (@szgmt) 2017年11月30日
薩摩切子作るうえでの色んな行程で、
たくさんの検査のなかで、合格したものがお店に並んでるんだそうな(*´ω`*)ちゃんと後ろに家紋と「SHIMADZU」って刻んであるの…… pic.twitter.com/qlBVvEEiuE— なか (@k_uraomo) November 22, 2017
当時薩摩を訪れた長崎海軍伝習所教員でオランダ人のカッティンディーケは後に薩摩藩のことを「ヨーロッパの一公国並みの技術力を持っていた」と言っています。
また、斉彬は人材育成や登用、発掘にも力を入れていました。
斉彬により発掘された人材の1人が西郷隆盛です。
西郷隆盛は下級武士であったため島津斉彬との出会いがなければ歴史的に名を残すような人物にはなっていなかったでしょう。
大老 井伊直弼との対立
井伊直弼…そう、直虎さん之子孫です。
来年の大河ドラマ『西郷どん』の新キャストが発表され彦根藩第15代藩主で江戸幕府末期に大老を務め安政の大獄などをし1860年3月3日に江戸城桜田門外【桜田門外の変】で暗殺された井伊直弼公役を演じるのは佐野史郎さんになりました‼#西郷どん#井伊直弼#佐野史郎 pic.twitter.com/lORDMwYWhn
— 濱北の虎 (@jBEj9phmzABji1n) October 3, 2017
老中である阿部正弘が亡くなると、井伊直弼が大老となり、斉彬と直弼は、次期将軍(第14代将軍)を誰にするかで対立します。
当時の将軍は第13代家定。
斉彬の養女である篤姫を嫁がせた将軍です。
第12代家慶が次期将軍を指名する前に急逝してしまった為、順番的にこの家定が将軍となったのですが、残念ながらこの家定は身体が弱く、跡取りが生まれる見込みがありませんでした。
ピース又吉:「西郷どん」起用は脚本家の“鶴の一声” 中園ミホ「いいわよね」で徳川家定役 https://t.co/CvCEQMUNj0
— 毎日新聞 (@mainichi) October 3, 2017
斉彬を含め四賢侯は次期将軍に一橋慶喜を推しました。
慶喜は斉彬とかねてから親交のあった水戸藩第9代藩主 徳川斉昭の七男です。
幼い頃から優れた知能と才覚を持っていた慶喜。斉昭は七男である慶喜を他家に養子に出すことなく、しばらく手許に置いたそうです。
一方、井伊直弼が次期将軍にしようとしたのは、紀伊藩主 徳川慶福(よしとみ)でした。
井伊直弼は大老という高い地位を利用して安政の大獄という弾圧を慶喜擁立派に対して行います。
結果、斉彬側は井伊直弼に将軍継嗣問題で負けてしまい、徳川慶福が第14代将軍となり、徳川家茂と名乗ることになります。
島津斉彬の最期
斉彬が目指したのは、公武親和、幕府を中心とした中央集権体制で、開国をして富国強兵をはかり欧米諸国に対処しようとするものでした。
将軍継嗣問題に敗れた斉彬は抗議のため藩兵5000人をつれて上洛することを計画します。
ところが出兵のための練兵を観覧中に体調を崩し急逝してしまいます。
死亡の原因は当時流行していたコレラと言われていますが、その症状から毒殺されたという説もあります。
また、斉彬の嫡子は次々と夭折(若くして死亡)していることも併せて考えると、斉彬の血筋を絶やしたい者の陰謀による暗殺説が有力であるとも言われています。
島津斉彬公って伊達政宗公、織田信長公の血を引いていたそうだから、信長公、政宗公を演じられた渡辺謙さんが斉彬公も演じられるということに、面白さを感じます(^^; #西郷どん pic.twitter.com/eJ9yD7zRbi
— 徳川山城守 (@Sekigahara915) December 17, 2017
島津斉彬まとめ
・日本のみならず外国の事情にも精通していた。曽祖父がシーボルトと会談した際に同席した。
・薩摩藩の富国強兵に成功し幕末の動乱に薩摩藩が影響力を大きく発揮するきっかけを作った。
・身分に関係なく優れた人材を発掘し登用した。
・カリスマに相応しい血筋で、しまずね初代の血統と、伊達政宗や織田信長、徳川家康にも繋がる血筋です。
→斉彬の父親は島津家初代の血統。斉彬の母親である弥姫の父親は鳥取藩第6代藩主 池田治道で、母親は仙台藩第7代藩主 伊達重村の娘で血筋を遡ると伊達政宗に繋がります。
・他のカリスマ武将などと同様、高い志を持ち素晴らしい活躍をしましたが、志半ばで亡くなってしまいます。
織田信長や武田信玄のように、もし、この人が長生きしていたら時代はどうなっただろうと思わせる人物です。
渡辺謙さんの島津斉彬とても楽しみです。